悲劇のグアテマラ(前編) ―――グアテマラ革命から崩壊まで 〜〜米帝に消された自由と民主主義の夢〜〜
嘘つき国家の米国による介入
現在、コスタリカは中米屈指の民主国家として、名を馳せている。内戦後、軍を廃止し、教師を増やしたりする”平和国家思想”は現在も存続し続けている。そして、防衛も警察組織に移譲し、巡回の警官も銃を持たないなど内外問わず”平和国家”と”民主国家”として世界中への売りとしている。
だが、その数年前には、グアテマラは中米の中で最も民主的な国家として革命が進められていた。ナチズム信奉の売国奴ホルヘ・ウビコ大統領が独裁の手を尽くしたことにより、貧民や富豪を問わず政権の不満が溜まる一方であり、反対運動が大きくなる一歩だったため、1944年6月にウビコ大統領は辞任した。臨時大統領にポンセ・バイデスが就任したがウビコ大統領の政策を引き継いだため、軍部内に不満が高まった、そして反体制派新聞の社主が暗殺されたことによりクーデターが勃発し、米国による独裁政権に対する支持も失った。こうしてグアテマラ10月革命が始まった。ハコボ・アルベンスとフランシスコ・ハビエル・アラナ、そしてホルヘ・トリエージョによる民主主義のための軍事評議会が結成された。一部、反乱はあったものの鎮圧され、政権側に強い権力があったのは今までどおりだが、順調に民政移管を進めていった。
1945年の大統領選挙では、フアン・ホセ・アレバロが当選した。彼の政策は一部の人を除いたすべての国民に選挙権を与え、普通選挙を基本とし、権力の分散と複数政党制の導入を進めた。そして、報道の自由含む様々な権利の保証、労働組合の設立を評価し着々と民主主義国として前進していった。そして外交政策は独裁政権へ断固として譲らない姿勢を見せ、フランコ独裁下のスペイン、独裁政権下のドミニカ(ナ)共和国、ソモサ独裁政権のニカラグアと断交し、その後、両国の内政問題により頓挫したが、民主主義を標榜するエルサルバドルと同盟を結ぶ計画するなど、完全に民主主義だけを尊重した。労働法の改正により平均賃金を引き上げ、以前の3倍以上の賃上げを実現した。
しかし1949年、すべてを崩し得る出来事が起きた。革命時の評議会メンバーの軍部アラナがクーデターを起こすと脅迫した。彼はアレバロ政権誕生時に民政移管を断固として反対しており、大地主からの支持も取り付けていた。そして軍事のすべてを彼に譲るのを引き換えに民主化を約束させた。彼はすべての民主主義を敵とみなしていた。そして彼はアルベンスの手下によって討伐され、アラナ派の軍部は国外に亡命した。アラナの死は暴動につながったがすべて鎮圧した。
その次の大統領選でアルベンスは出馬していたが、クーデター危機を乗り越えたことにより有利になり、1950年無事当選した。彼の目玉政策は農地改革であった。1952年、大地主であったアルベンス大統領自身の土地を含めたすべての農地を国民に分配することを実行した。そして、ユナイテッド・フルーツ・カンパニー、通称:UFC所有の土地で耕作された15%の土地を除く土地が接収されることになり、UFC、そして米国との大きな問題となった。さらに米国の国務長官はUFCと大きな関わりがあり、大きな問題となるのは確実であった。このような情勢がアメリカがアルベンス政権を嫌う一番の要因となった。アイゼンハワー率いる米国はアルベンスを共産主義者と根拠が一切ない主張をし、クーデターを計画した。そして追放されたアラナ派のカルロス・カスティージョ・アルマスが1954年クーデターを成功させ、アルベンスを辞任させた。これはPBSUCCESS作戦と呼ばれている。座を追われた彼はメキシコへ逃亡した。
奴は外見も容姿もヒトラーとそっくりであった、あの忌々しいナチズム時代が再来してしまったのである。そして彼は3年後、護衛に殺されるまでに大統領として君臨した。その後、10年間の革命期間中にソビエト連邦と接近した証拠集めに米国と躍起になるが「そんな」ものは、どこを探して見つかるはずもなかった。確かにアルベンスは妻の影響で共産主義に関心を寄せていたのは事実だ。しかし、アレバロ政権時代には共産党の活動を禁止していたし、「そんな」ものに助けを乞う必要がないくらいに経済は発展し、社会は公平になっていた。しかし、米国は利権と利益のためだけに、民主主義と自由、そして国家の主権を潰した。
アルベンスは社会の公平性をもう一歩先へ進めようとしたが、妨害され国を追われる羽目になった。このクーデターの約五年後にキューバ革命が成功し、フィデル・カストロが、居場所を転々としていたアルベンスにキューバーに来ることを求め、彼は快諾し、しばらく革命の地にとどまることになったが、1965年、娘の自殺が彼を襲った。彼女の葬儀でメキシコを訪れ、その後同地での永住が認められた。メキシコは20世紀初期の革命以来、革命の中継発信地であり、サンディーノやフィデル達もメキシコから革命を広めていった。1971年2月27日、革命家の宿場メキシコでその生涯を終えた。
キューバ革命時、カストロ兄弟とゲバラ*率いる革命軍はグアテマラ革命の失敗の原因はアルベンスへの裏切りが原因であるとみた。そしてバティスタ政権時代の軍部をすべて処刑した。この裏切りに対する対策は功を奏し、現在もキューバは社会主義国として、そして世界屈指の教育・医療先進国として繁栄している。
こうして米国はグアテマラのすべてを掌握することになるが、米国が掌握した後、グアテマラは何もかもが不安定になり、あのホロコーストのような悲劇がグアテマラで起きてしまう。(中編へ続く)
*チェ・ゲバラはアルベンス政権が打倒される前は、グアテマラに滞在していた。それ以降チェ・ゲバラはメキシコに移住し、武力での革命を目指すようになった。
参考文献 Shattered Hope: The Guatemalan Revolution and the United States, 1944-1954 Piero Gleijeses 著 Che Guevara —– Jon Lee Anderson 著 Fidel Castro: My Life: A Spoken Autobiography —-Ignacio Ramonet 著
© 2023 p4bu1
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