”死刑”と”報復” 〜〜死刑制度廃止運動の渦中の中で〜〜

人々の社会に対する無責任

2022年アフリカの3カ国「中央アフリカ共和国」「赤道ギニア共和国」「ザンビア共和国」が死刑を廃止する法律を可決した。いずれもクーデター未遂や内戦の経験がある国である。でもなぜ政情が不安定な中央アフリカが、なぜ独裁国家と言われる赤道ギニアが死刑を廃止するような状況になっているのか?私の見解としては、「報復」としての「死刑」をなくすということが2次大戦終結後から広がり始めている。現在独裁化を進めている、ニカラグアのFSLN政権でも、1979年、サンディニスタ革命成就後の憲法制定時に死刑を禁止する条項ができた。ソモサ政権時の特権階級への恨み辛みを死刑での報復に至らないようにできたものと私は考えている。キューバ革命後は、旧政権の軍人、数百人を処刑している。だが、2003年以降の死刑執行はない。ともかく、いかなる政治スタンスに依らずに死刑は忌避すべきであることが近代国家として、国際法守る国家として不可欠になっていることがわかる。

現在、”死刑存置国”は、アフガニスタン、アンティグア・バーブーダ、バハマ、バーレーン、バングラデシュ、バルバドス、ベラルーシ、ベリーズ、ボツワナ、中国、コモロ、コンゴ民主共和国、キューバ、ドミニカ国、エジプト、エチオピア、ガンビア、ガイアナ、インド、インドネシア、イラン、イラク、ジャマイカ、日本、ヨルダン、クウェート、レバノン、レソト、リビア、マレーシア、ナイジェリア、北朝鮮、オマーン、パキスタン、パレスチナ、カタール、セントクリストファー・ネイビス、セントルシア、セントビンセント・グレナディーン、サウジアラビア、シンガポール、ソマリア、南スーダン、スーダン、シリア、台湾、タイ、トリニダード・トバゴ、ウガンダ、アラブ首長国連邦、米国、ベトナム、イエメン、ジンバブエの以上54カ国となっており、現在執行が2021年に行われた国はさらに少なくなり、日本を含め15カ国となる。

日本では”死刑存置国”として国外から猛烈な批判を受けなければならないし、犯罪者引き渡し条約を結んでる国はアメリカと韓国の2カ国のみである。外交上でも大きな障壁になり得る。でも日本政府は死刑制度を廃止する気もないし、国民も死刑制度を支持している。死刑制度は犯罪の抑止力になるというのが日本臣民の主張ではあるが、死刑制度が犯罪抑止になったデータが一つたりともない。死刑を廃止した国が犯罪率が低下したというデータのほうが多い。でもなぜ日本では死刑判決が下り、処刑されるようなことが行われているのか。私の見解としては、臣民の社会に対する”無責任”ではないかと思う。日本では、治安の良い国として長い間、名を馳せてきた。それはなぜかと言うと、警察の腐敗が少なく高レベルな捜査が行われるからであるからである。だが、日本の臣民はそれに任せっきりで自分の社会にすら無責任であると思う。日本ではまだ防犯意識が低く、被害があれば警察に任せるということが多い。その考え方は、警察や司法にも蔓延している。殺人があれば、被告を死刑判決を下して、被害者遺族にそれで納得してもらうということが、ある一種の慣習になっている。でも、犯人を処刑したとしても被害者が戻ってくることはないし、加害者による補償もない、被害者がその家族を支えてたとしても、遺族年金以外の補償も支援もない。ちなみに遺族年金の年額は大体50万円である。以上のような、補償や支援がないことは、私は「臣民の無責任社会」と呼んでいる。その社会は誰もが「無責任」になり、加害者も”無責任”に犯罪を起こすし、被害者も”無責任”に行政や司法に任せるし、行政や司法も”無責任”に法律の枠内だけでの粗末な対処に終わる。その悪循環が終わらなければ、加害者の更生も不可能であるし、被害者の立ち直りも難しいだろう。ちなみに法務省によると、令和2年度の再犯率は49%である。再犯者の人数は減っているが、割合は増え続けている。

日本の”無責任社会”はさらに悪化の一途を進んでいる。日本の司法では、”懲罰”的な判決が多い。法務省によると、刑務所の役割は”更生”であるとされているが、収監された者の半分が再犯している時点で更生の役割は果たせていないのではないかと思う。被害者も法律の枠内での補償では不十分であるし、死刑を支持する理由も理解ができる。

私は思う「我々は無責任である」と。

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